水子供養、永代供養、納骨堂、家族葬、法話は岡山県瀬戸内市の天台宗上寺山餘慶寺へ

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縁起
1260年あまりの栄枯盛衰の歴史
上寺山餘慶寺は報恩大師の開基として伝えられている備前四十八カ寺のひとつで、749(天平勝宝元)年の開山当初は「日待山日輪寺」と称されていた。9世紀に天台宗中興の祖、慈覚大師円仁の命により「本覚寺」と寺号を改め、ご本尊に千手観世音菩薩を奉祀し、七堂伽藍が整えられるなど繁栄を極めた。しかし戦乱期の12世紀末には、源平の争乱により近隣にあった今木城とともに支院や三重塔を焼失したという。
上空から餘慶寺の一山一寺六院の堂宇を望む

上空から餘慶寺の一山一寺六院の堂宇を望む

その後、時代の進展とともに徐々に寺院の復興は進み、寺号を現在の「上寺山餘慶寺」と改めたが、寺号を改めた時期を特定できる史料はいまだ発見されておらず、応仁・文明の乱(1467〜1486年)ごろではないかと推測されている。
江戸時代には岡山藩主池田氏の庇護のもとで栄え、最盛期には7院13坊を数えたという。現在でも6院が残っており、建ち並ぶ諸堂と合わせ県内屈指の大伽藍といえる。

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